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富士宮市議会議員
どんな時も 明るくほがらかに!
『副市長による議会介入
及び名誉毀損訴訟』の提起について
2026.6.1 追加しました
富士地裁へ国家賠償請求の訴状を提出しました
本日、富士地裁へ国家賠償請求の訴状を提出してまいりました。
前回は、副市長個人を相手とした民事訴訟でしたが、「公務中の行為である」との判断が示されました。であるならば、今度は富士宮市を相手とした国家賠償で進めるのが自然な流れだと考えています。
私はこれまで何度も、議会の中で第三者を入れた対応を求めてきました。
しかし、それが叶わないのであれば、法律に委ねるしかありません。
争うこと自体が目的ではありません。
ですが、後悔のないよう、最後までやり切ることが大切だと思っています。
実際に一度裁判を経験してみて感じたのは、思っていた以上に「専門家と共に進めていくもの」だということです。多くは準備書面によるやり取りで、専門家の方が丁寧に支えてくださっています。
私は、信頼している行政訴訟の専門家にお任せしながら、自分は今やるべき仕事に集中していきたいと思っています。

「裁判をしている暇があるなら、議員として他にやることがあるだろう」そう言われることもあります。ですが私は逆に、今を頑張りたいからこそ裁判をしています。
博物館の問題も、南原の問題も、待ってはくれません。だからこそ、必要な部分は専門家に委ね、自分は市民の声を届けるために前を向いて進みたい。
裁判というものが、以前よりずっと身近なものにも感じられるようになりました。日本では多くの方が、それぞれの事情や思いを抱えながら司法に頼っています。
私自身も今、とても大きな学びの中にいます。
これから長い時間がかかると思いますが、どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです。
2026.6.1 追加しました
私自身への十分な取材もないまま記事になることには、驚きと悔しさを感じています
昨日(2026年5月2日)の新聞にも、富士宮市議会政治倫理審査会の記事が掲載されました。
「いったい、どこまで載れば気が済むのだろう…」そんな気持ちになるのも正直なところです。
処分は「注意」なのでしょうか?
公表というところは政治倫理条例の規約だから仕方ありません。
しかし、ホームページの公表は条例とか条例の逐条には記載がありませんでした。
ホームページに載るというのは富士宮市議会が存続する限り掲載されるのでしょうか?
また、新聞も私自身への十分な取材もないまま記事になることには、驚きと悔しさを感じています。
何を言っても通らないということですね。
それでも、落ち込んでばかりはいられません。
ここまで名前が出るなら、ある意味「広告宣伝費が浮いた!」くらいの気持ちでいこうと思います。
「悪名も無名に勝る」という言葉もあります。
もちろん悪い意味で有名になりたいわけではありません。
ですが、それだけ多くの方が市政や議会に関心を持つきっかけになるなら、無駄ではないとも感じています。
これからも、明るさを忘れず、市民の声を届ける活動を続けてまいります。
転んでもただでは起きません。
人生経験だけは豊富ですから。

2026.4.1 追加しました
副市長に対する損害賠償請求について、判決は請求棄却となりました
今回の判断は、発言内容そのものの是非を十分に精査したものではなく、あくまで「副市長の発言が公務としての職務の範囲内かどうか」という点に基づくものでした。
裁判所は、今回の発言を「公務員としての職務上の発言」と位置づけ、個人としての副市長の責任は問えないと判断しました。つまり、問題の本質が否定されたわけではなく、責任を問う相手が“個人”ではなく“市”であると整理されたにすぎません。
私としては、この発言が市民や議会に与えた影響、そしてその重みについて、なお看過できるものではないと考えています。
だからこそ、今後は市を相手に国家賠償法に基づいて、改めて正面から問うていく考えです。ここで終わりではありません。
争点が明確になったからこそ、ここからが本当の勝負だと思っています。一つ一つ前に前に、、、、、、

2026.2.1 追加しました
資料: 富士宮市議会での議事録(問題個所)

副市長に対して裁判を起こした理由について
「後援会だよりを見て、なぜ裁判を起こしたのか説明してほしい」
という市民の方からのご意見をいただきました。
改めて、私の思いをお伝えいたします。
発端は、令和7年6月本会議での出来事です。
私は議会の中で、
市民約5,000人の署名を背景に行われた
住民投票条例制定請求(直接請求)について、次のように発言しました。
「市民と違う方向を向いている議会があるとき、
それを補完するのが直接請求である。
議会が常に正しいとは限らない。」
これは、他自治体の事例も示しながら、
市民参加の民主主義の大切さを述べた
政策的な意見です。
ところが、この発言に対し、私が質問していないにもかかわらず、
副市長が自ら手を挙げて発言しました。
副市長は、
「違和感がある」
「議会が正しいとはいえない」
「いかがでしょうか」と繰り返し述べ、
議会に議論を促しました。
一見すると穏やかな表現に見えるかもしれません。
しかし、副市長は行政のトップを補佐する立場にあります。
その立場から、特定の議員の発言に対し
「違和感がある」と述べ、議会に議論を促すことは、事実上の議会への働きかけ・介入にあたります。
そして実際に、
この副市長発言をきっかけとして、
私に対する懲罰動議が提出され、
懲罰へと至りました。
本来、議員の発言の是非や議会運営は、
議会が自主的に判断すべき事項です。
行政側が方向性を示したり、
処分につながる流れを生むことは、
議会の独立性を著しく損なう行為です。
もしこの出来事を黙認すれば、
「行政が違和感を示せば、議員は処分される」
という前例を残すことになります。
それは、すべての議員が萎縮し、市民の声を代弁する発言や
問題提起ができなくなることを意味します。
だから私は、
この問題を個人の感情や対立の問題ではなく、議会制民主主義そのものの問題として捉えました。
私が裁判を起こした理由は、
自分の名誉回復のためだけではありません。
市民の声を議会に届ける仕組みを守るため。
そして、健全な地方自治を次世代に残すためです。
黙っていることは、
「これでよい」と認めてしまうことだと、
私は思っています。
だから、声をあげました。
一人でも声をあげる人がいれば、
この町は終わらない。
誰も声をあげなくなったとき、
この町は本当に終わってしまう。
私はこれからも、
市民の声とともに、
声をあげ続けていきます。
この町の未来をあきらめないために。
次の世代に、胸を張って渡せる
地方自治を残すために。


